この度、「旅語り」と題し、旅に魅了され続ける人のためのライブを企画しました。各回、旅人をお呼びし、写真と音楽、そして旅のエピソードを語ってもらうライブを開催いたします。
いつの時代もどんな国でも人は旅をやめることはありません。
その旅の先に見たものをここで語り尽くします。
【日 時】12月6日(火)
【時 間】17:00〜 カフェオープン
20:00〜 旅語りスタート
【会 場】いわむろや別邸 小鍛冶屋
【入 場】500円
〜LIVE1のゲスト旅人〜
[旅 人]ゴリちゃん
[期 間]
[旅 先]世界一周、13カ国
[旅の音楽]
[旅のモットー]
より大きな地図で いわむろやマップ を表示
『新潟き業人』
『新潟き業人』 発行・株式会社財界にいがた
新潟の様々な業界の創業者や後継者など経営者へのインタビューを集めた本である。
このインタビューがとても面白い。
経営者の苦悩、先代との確執、サービスにかける情熱、旺盛な好奇心、大胆な決断、先見の明、柔軟な思考、粘り強い忍耐、前例主義や成功体験との闘い。
58人の経営者の言葉から学ぶべきことは多い。
読前と読後では、掲載企業を見る目が変わる。
あの会社には経営者のこんな想いが込められていたのかとの発見が多い。
一消費者としてもこの街を見るさいの視野の深度がふかまる。
そして、財界にいがた記者の方々もよくここまで聞き出したなと思う。
この企画と取材にも尊敬の念をいだく。
見開きでひとつの企業が完結します。
ワクワクしながら読み進める本です。
オススメ。
美術館と図書館へ
また夏が戻ってきたような暑さ。
新潟はこの週末はちょうどお祭り。
ちょっと前には長岡の花火大会。
私はほぼ日のサイトでやっていたユーストリーム中継で観覧。
今週は、新潟市美術館で開催中の「アール・ブリュット・ジャポネ展」へ行った。
知的障害や精神障害を持った人の作品展で、パリで展示されたものの一部が今回新潟にやってきた。
ひとつひとつの作品から感じる生きてるエネルギーのようなものが大きい。
純粋に、ただ黙々と、生きて、表現している姿が伝わってきた。
オススメ。
近所の県立図書館をぷらぷらと訪ねる。
たまたま目にとまった、尾原史和著『逆行』ミシマ社刊を借りる。
最初に就職した。
なんとな〜く...、就職した高知の印刷会社での話。
仕事の規模は、入る箱で決まる。
小さい箱に入る仕事は小さい仕事だし、きれいな箱には高級な仕事が入る話。
対象を「わかりやすく」伝える、「世界観」をどういうふうに感じさせるか。
物語を作り上げることがデザインをするという行為なんだって話。
などなど、面白いです。
オススメ。
以上です。
生活空間から失われた色
ふと、気を抜くと涙が溢れそうになっていた。
東京都内のど真ん中。
28歳のいい大人が一人で、どうした。
---
先週末、東京に出たさいに一人の時間が出来たので、以前から気になっていた目黒区駒場にある日本民藝館に行った。
特別展の「芹沢銈介と柳悦孝 ー染と織のしごとー 」が開催されていた。
染色作家・芹沢銈介のその「色」を見ているときだった。
私たちは今現在、生活していて意識的にも無意識のうちにも様々な「色」に囲まれている。
それは自分の部屋の壁紙、お店の玄関マット、デートで彼女が着ている洋服、好きな映画のフライヤー、鼻水をかむときに手を伸ばすティッシュボックス、ガソリンスタンドの大きな看板、いきつけの飲食店の椅子、それはもう無数に存在する「色」、また、「色」。
一人、のんびりと展示を眺め気づいた。草木などの自然素材で染められた着物や屏風、絵巻のその豊かな色は、私の生活空間からは既に失われた色である。しかし、その色はたった100年前、この日本という国の生活空間に溢れていた「色」であることにも。
お店をくぐる暖簾、母が来ていた着物、お歳暮をつつんだ風呂敷、床の間にかけられた掛け軸などにあった、日本の「色」。山や田畑の恵、自然素材で染められたそれらの「色」は生活空間にあって、意識的にも無意識にもたった100年前の私たちの先祖はそれらの「色」と暮らしていた。
今更ながら気づかされた。普段、パソコンに向かってCMYKやらRGBの数字を調整しているようではまったく感じられない感動があった。なぜかはわかならない、展示から私が受け取ったのは「優しさ」であった。その温かな「色」の感触に触れていることが、不意に涙を誘ったのだ。
芹沢銈介がどんな人でどんな思いで作品を残したかという事前の知識はまったくない状態で展示を眺め、「色」そのものに感動したこと。それと、前記のブログ記事・小林章氏のフォントの本から感じたことが似ている気もする。誰がどうして、こうしたといった「内容」よりも、文字の造形そのものに感動すること。このように突如として迫ってくる感動もあるということが少し身体に入ってきている。
ここ新潟では海を焦がす夕焼け、実りの秋に向かって穂を揺らす稲は緑から黄金に、夏の強い日差しを浴びてなお青々とひかる海、三面川をのぼる鮭のはらこの艶!!(あっ、最後に食い意地が...笑)
豊かな「色」はいまも残るはず。完全に絶やすのも僕らの世代。記憶と記録と技を繋ぐのも僕らの世代。その価値に気づけるのか。今一度、この豊かな日本の「色」、そして、世界中の豊かな「色」に意識を傾けたい。
日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/
静岡市立芹沢銈介美術館
http://www.seribi.jp/index.html
※静岡方面に用事を作って行ってみたいな!!
東京都内のど真ん中。
28歳のいい大人が一人で、どうした。
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先週末、東京に出たさいに一人の時間が出来たので、以前から気になっていた目黒区駒場にある日本民藝館に行った。
特別展の「芹沢銈介と柳悦孝 ー染と織のしごとー 」が開催されていた。
染色作家・芹沢銈介のその「色」を見ているときだった。
私たちは今現在、生活していて意識的にも無意識のうちにも様々な「色」に囲まれている。
それは自分の部屋の壁紙、お店の玄関マット、デートで彼女が着ている洋服、好きな映画のフライヤー、鼻水をかむときに手を伸ばすティッシュボックス、ガソリンスタンドの大きな看板、いきつけの飲食店の椅子、それはもう無数に存在する「色」、また、「色」。
一人、のんびりと展示を眺め気づいた。草木などの自然素材で染められた着物や屏風、絵巻のその豊かな色は、私の生活空間からは既に失われた色である。しかし、その色はたった100年前、この日本という国の生活空間に溢れていた「色」であることにも。
お店をくぐる暖簾、母が来ていた着物、お歳暮をつつんだ風呂敷、床の間にかけられた掛け軸などにあった、日本の「色」。山や田畑の恵、自然素材で染められたそれらの「色」は生活空間にあって、意識的にも無意識にもたった100年前の私たちの先祖はそれらの「色」と暮らしていた。
今更ながら気づかされた。普段、パソコンに向かってCMYKやらRGBの数字を調整しているようではまったく感じられない感動があった。なぜかはわかならない、展示から私が受け取ったのは「優しさ」であった。その温かな「色」の感触に触れていることが、不意に涙を誘ったのだ。
芹沢銈介がどんな人でどんな思いで作品を残したかという事前の知識はまったくない状態で展示を眺め、「色」そのものに感動したこと。それと、前記のブログ記事・小林章氏のフォントの本から感じたことが似ている気もする。誰がどうして、こうしたといった「内容」よりも、文字の造形そのものに感動すること。このように突如として迫ってくる感動もあるということが少し身体に入ってきている。
ここ新潟では海を焦がす夕焼け、実りの秋に向かって穂を揺らす稲は緑から黄金に、夏の強い日差しを浴びてなお青々とひかる海、三面川をのぼる鮭のはらこの艶!!(あっ、最後に食い意地が...笑)
豊かな「色」はいまも残るはず。完全に絶やすのも僕らの世代。記憶と記録と技を繋ぐのも僕らの世代。その価値に気づけるのか。今一度、この豊かな日本の「色」、そして、世界中の豊かな「色」に意識を傾けたい。
日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/
静岡市立芹沢銈介美術館
http://www.seribi.jp/index.html
※静岡方面に用事を作って行ってみたいな!!
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